「妊活」という言葉が広く認知されたのは、芸人の大島美幸さんが「妊活休業」を公にしてからではないでしょうか。
時を同じくして私も産婦人科に通い不育症の治療をしている真っ只中でした。自身の妊活を振り返って書いてみようと思います。
【1.妊活に至る迄】
結婚をして3ヶ月、妊娠が判明しました。
確かに拍動する心臓を見て喜びに満ち溢れていたのも束の間、次の検診時には拍動が止まり稽留流産でした。
心身共に辛い経験でしたが、体調が戻り8ヶ月後に再び妊娠。
ですが、再び稽留流産となってしまいました。
妊娠はするのに、どうして?
立て続けに流産を経験したので原因を検査する事にしました。
血液検査の結果、抗核抗体の値が高い事が原因と判明。
この値が高いと、胎児を異物と捉えて細胞が攻撃をしてしまい育たない、との事でした。
原因が分かって良かった、そう思う反面、治療をして妊娠・出産に辿り着けるのだろうか、という不安はありました。
当時、私の年齢は37歳。
出産を望むのであれば時間はあまりない中、治療が始まりました。
【2.妊活~治療~スタート】
バファリン薬という、血液をサラサラにする薬。漢方で子宮の状態をよくして、ホルモン注射を打ち。
そのような治療を行いながら、タイミング法で妊娠を待ちました。
「妊娠したとして、必ず薬の効果で出産出来る、とは保障出来ません。
が、この治療で進めていきましょう。」と先生からは言われていました。
言わば賭け、のような治療でした。
とにもかくにも、妊娠しない事には、、、。
月に1度の排卵日。
1ヶ月、1ヶ月が本当に貴重な時間で、良い結果が得られないまま過ぎていく
時間に涙に暮れた夜もありました。
出勤時間が迫る旦那の前で朝から泣いて困らせてしまった事もありました。
【3.妊活中の心理状態】
「赤ちゃんが欲しくて頭の中が上手く受胎する事ばかりになっている私はおかしいのかな。」
「この事ばかり考えていて旦那は嫌になっているかな。」
「薬で治療をして妊娠したとして、命のコントロールだったり、単なる私のエゴでしかないんじゃないかな。けど、それなら子どもを産んでる人は皆エゴって事になるか・・・。」
「赤ちゃんが欲しいと願っているのは自分だけなんじゃないか、、、?無事妊娠・出産しなかったらゴールはどこにあるんだろう?」
少し思い出しただけでも、色々な思いがグルグル渦巻きました。
保育士をしている私。
次、妊娠をして、もし、また流産したらもう妊娠は諦めようと思いました。
精神的に耐えられない。
仕事も続けられなくなるかもしれない。
そんな風に思いました。
それでも、ただひたすら妊娠を願って妊活治療を続けました。
【4.先生に思いを吐露】
妊娠に繫がる結果に恵まれないまま月日は無常に過ぎていきました。
そして半年が過ぎた頃、精神的に辛くて良い結果に繋がらない事を話しまし
た。
先生は親身になって話を聞いて下さり、ご自身の経験も交えてお話しして下さりました。
この産婦人科はネット掲示板で口コミの評判が良く選んだ病院だったのですが、この病院にして良かった、と思えた時でした。
本当に有難かったです。
結果、この時の相談が功を奏してタイミングが合い、妊娠となりました。
【5.病院選びの大切さ】
私の場合、初めて妊娠をして受診した産婦人科が相性が良い病院で、妊活にも繋がりました。
今はネットで病院の口コミが分かる掲示板もあります。
また、周囲の人にどこの病院が良いか尋ねるのも良いでしょう。
病院の方針が自分と合わない場合もあります。
今はセカンドオピニオンもよく言われるので、自分に合わないのかな、と思ったら違う病院を受診するのも良いと思います。
幸いな事に、私はタイミング法で無事妊娠する事ができました。
その為、費用的にはそこまで負担に思う事はありませんでした。
年齢的に時間がなかった事もありますが、先生にも思いを素直に吐き出せた事も功を奏したと思います。
これも、先生との関係が構築されないと難しいでしょう。
命という、デリケートで重い事なので、やはり病院選びは重要だと思います。自分に合った病院を選ぶ事が一番です。
無事妊娠したものの、紆余曲折を経て息子を出産しました。
今は元気に間もなく4歳を迎えます。
紆余曲折は、また別の記事で記したいと思います。