2度の立て続けての流産、不育症の治療を経てやっとの思いで妊娠した私。
妊娠してからも大変な日々で、出産までの道のりはそれは長いものでした。
「妊娠は病気じゃない」との言葉を聞いたりしますが、やはり命を宿している身体ですから労わらないといけません。
人それぞれの妊娠生活。
何が起こるか分かりません。
その1例として、私の体験記を記したいと思います。
【1.妊娠判明時】
不育症治療を経てやっとの思いで妊娠が確定した時、仕事が最悪のタイミングでした。
年齢的に時間がない為、仕事のタイミングを考える余裕がなかったのです。
保育士をしているのですが、丁度行事が立て続けに行われるタイミングでの妊娠確定でした。
「今回も、また駄目かもしれない・・・。」立て続けに2度の流産を経験していた為、不安でしかありませんでした。
心拍を確認する日は、激務がひと段落した時で順番を待つ間不安で不安でたまりませんでした。
「また、駄目だったらどうしよう、、、。」
その思いで一杯で、エコーではっきりと心拍を確認出来た時は涙が溢れて嗚咽になる程の嬉しさでした。
【2.きっと今回は大丈夫!そう思った矢先…】
心拍も見えて順調に週数が進んだ12週目。
「きっと今回は大丈夫!」そう思い始めた矢先。
夕方帰宅して玄関に入ると同時に、生理時のような、出血をする時のような感覚がありました。
「えっ!まさか!」急いでトイレに駆け込むと、
下着が鮮血で染まっています。
くらくらして倒れそうな感覚に襲われました。
「嘘!嘘でしょう!嫌だ!赤ちゃん頑張って!」
必死に気持ちを落ち着けて処置をし、産婦人科に電話をしました。
時間外の為、最初は看護師から「朝まで様子を見て下さい。」と、冷ややかな対
応。
必死に訴えました。
院長先生に確認をして折り返し連絡をします、との返事をもらえて急いで入院準備を整えます。
「入院の準備をしてお越し下さい。」との連絡をもらい急いで病院へ向かいま
した。
「切迫流産」で、24時間点滴とトイレ以外絶対安静の入院となりました。
トイレに行く度に滴る鮮血に、血液を見るのが怖くなりトラウマになりそうでした。
ただひたすら「赤ちゃん頑張って。」と祈るしかありません。
不育症治療で、赤ちゃんに血液がしっかり届くようにと飲んでいた血流を良くする薬が原因での出血かもしれない、との事で薬の服薬を止めて様子を見る事になりました。
1週間の入院で出血が落ち着き退院となりました。
鮮血の出血こそなくなりましたが、まだ、茶おりが出ている状態。
出血は止まっているので、子宮に残っている血液が全部出たら落ち着くでしょう、との事でした。
退院してからも自宅で絶対安静の生活でした。
そのまま大晦日、お正月を迎えたのでした。
【3.仕事に復帰するものの】
1ヶ月自宅療養をして、仕事に復帰する許可も出て日常生活に戻りました。
ですが、すぐにお腹が張るので怖々動く生活。
仕事も、残りあと1時間というところで張りが強くなり早退をさせて頂いたりと、迷惑をかけてばかりでした。
お腹の張りは酷く、今にも破水をするのでは!?
というような感覚があり、歩くのも1歩1歩ゆっくり歩く状況でした。
職場の皆さんに沢山助けて頂いて、無事に産休を迎えました。
ずっとお腹の張り止めの薬を飲み続けていました。
【4.出産迄のカウントダウン】
産休に入り少しすると、お腹がしんどい事もあり夜が眠れなくなってきました。
夜眠れないと、家で横になっていると自然と眠りに入ってしまいます。
結果、昼夜逆転の生活リズムになったりもして、生活リズムを整えるのが大変でした。
お腹の張りも相変わらずで、調子が良いと思い少し散歩をするとすぐに張りが強くなります。
すぐに帰宅して横になって・・・、の繰り返しでした。
身体を動かした方が良いと言うけれど、すぐに張るから難しいな、という状況。
また、長女の出産時帝王切開だったので、安全策を選び今回も予定帝王切開が決まっていました。
可能であれば自然分娩をしたかったのですが、年齢も39歳だったので無理はしない選択を医師と相談して決めていました。
なので、無理をして体を動かさなくても良いかなという結論でした。
帝王切開で出産の前日に入院予定で、何とその前日に長女の学校の運動会だったのです。
陣痛が来ない事を願いながら、お腹が張らないように気を付けながらどうにか運動会を見に行きました。
【5.長かった妊娠生活のゴール!】
妊娠判明時から色々あった妊娠生活。
やっとの思いでゴールの出産を迎えました。
帝王切開で、これまた不安一杯の出産でしたが、無事に息子と対面出来た時の感動と喜びは今でもはっきり思い出されます。
妊娠は病気ではありません。
ですが、本当に何が起こるか分かりません。
本人は勿論、周囲も労わる気持ちをずっと持ち続ける事が大切だと思います。
命を宿し育んでいる大切な身体なのですから。