おしっこ大戦争


娘はいつまでも夜のおねしょがなおりませんでした。

 

娘、3才。

昼のトイレは完璧。オムツは2歳前には保育園生活の中ではずれ、

《なんてトイレトレーニングが楽な子なんだろう》

と大喜びしていました。夜、寝る前にもトイレに行き、問題なく就寝。夜だけはオムツをしていましたが、毎日オムツが濡れていない状態で朝を迎えるので、夜もオムツを外すことにしました。

娘はオムツは外れている、と思っていました。

ところが、

毎晩、おねしょは続きます。

昼間、オムツをしていないだけに、夜だけオムツを再びさせるのは・・・と思い、毎晩パンツで寝かせるも、毎晩毎晩おねしょ。

たまたまおねしょが続いただけ。だって娘はオムツが外れているんだから。

そう自分に言い聞かせ。

毎朝毎朝、布団カバー洗濯と布団干し。

のんきな私は

《そのうちおねしょは治るだろう》

だって、娘はオムツが外れているんだから。

と思っていました。そう思っていたのに。

甘かった。

かれこれ半年おねしょは毎日。私が、おねしょについて突き詰めて話をしたことがなかったので、余計だったのかもしれません。

さすがに半年は長い。

でも今更オムツに翻すのもいかがなものか。

毎日濡れたパンツと布団カバーを洗いながら自分自身に自問自答する時間が増えてきました。

もしかしたら病気なのかしら?

はたまた日々の生活のストレス?

布団が寝心地悪いのかな?

あんまりおねしょの事で怒ってしまったらかわいそうかなと思っていたけれど、返ってなんてかわいそうなことをしてしまったんだろう。

病気を色々調べたり、病院を探したり、寝る前に読み聞かせの絵本をゆっくり読んだり、布団をかえてみたり。

心がざわつく。

そわそわする。

のんきな私もさすがに不安になり、

 

《おねしょ問題》

 

について娘に切り込んでみました。

すると。なんと。

 

《だってトイレに行くのがめんどくさいんだもん》

 

という回答が・・・。

 

めんどくさい。

 

まさかの回答に開いた口が塞がらず。

おねしょとは、気づいたらおしっこが出てしまった、等の

《事故的》なものだと思っていたら、

娘が自らトイレに行く、という行為を回避するための近道として

《意図的》なものだったのです。

布団は寝る場所!トイレじゃありません!!!

半年がかりで知った、おねしょの原因がとんでもなく堕落したものと分かり、私の戦闘意識が一気に高まりました。

ここから

 

「おしっこ大戦争」

 

の始まりです。

ぬれたパンツは自分で洗うという条約を結びました。

するとぬれたパンツをどこかに隠す娘。

隠したパンツを探し当て、条約違反をとがめる母。

しょうがないじゃん!寒いんだもん!

と、逆ギレする娘。

 

このゴールのいえない戦争は、半年続きました。

もう、オムツにしようかな。

何度も心が折れながらも、

明日はおねしょしていないかも!と淡い期待は消す事は出来ず。

きっとできる。

きっと明日はパンツが濡れていないはず。

そう信じて。

 

そして

なんと

パンツが濡れていない朝を迎えました!!

もう、嬉しくて嬉しくて泣きそうでした。

でも、明日は濡れてるかも、、、

いや!濡れてない!わ!また濡れてない!!

濡れていないパンツと踊ってみたり、かなり怪しい行動に出てしまうくらい最高な気分でした。

 

ようやく終戦。

 

一年がかりで「トイレトレーニング」が終了しました。

 

今考えると、もっとまともなトレーニング方法があったはずなのですが・・・日々イライラせかせかしながらも、今思えば楽しい子育ての1ページになりました。

子供の成長は親の成長、とよく言われますが、本当にその通りだと思います。子供と共に生き、子供と共に取り組み、子供と共に乗り越える。

ものすごく不器用な時間だったかもしれません。

間違えだらけだったと思います。

10数年間経った今、ようやく

この「おしっこ大戦争」が、良くも悪くも学びがあり、良くも悪くも親として振り返りが多いエピソードであると認識しますが

当時の私は

これが正しい!と思い込み

その思い込みと反する現実に直面した途端に、不安に襲われ、なんとかしなければと一人で焦っていました。

これが正しい!は子育てには存在せず、日々、これが正しい?と子供に問いながらするものなのかもしれません。

答えはその日その日で変わるかもしれません。二転三転、一歩歩いて二歩下がる。そんな繰り返しかもしれません。

その繰り返しを

親が一人でするのではなく、

親子ですることが子育てなのかなあ、、、と感じます。

また、地域との繋がりが薄くなってきているご時世ですが、地域の力は絶大です。子供の成長を一番察知するのは地域の方々な気もします。

なぜなら、子供を客観的に見ることができるから。

そんな客観的な意見や声掛けが、どん底から救い出してくれるかもしれません。

子育て中のママとの繋がりも、子育てをする上でとっても救いになる気がします。

なぜなら、子育て中という同じ環境下にいるから。

共感し合い、共存することができるのはとても心強いです。

ただし、地域や子育て中のママ達との繋がりばかりが気になってしまうことはマイナスでしかありません。

まずは自分の子供と自分自身。そこが守れる状態で、様々な人間関係の枝葉を広げることが不可欠だと思います。

 

当時の私には

地域との繋がりはなく、ママ友達はたくさんいましたが、ママ友達との時間を優先していたかもしれません。

客観的な目がなく、主観でしか子供を見ることができず、尚且つママ友達との時間が日々の時間のウェートを占めていました。

これでは大戦争も起こります。

 

子供に問う事なく、自問自答と思い込みから繰り広げられた珍エピソード。

でもこの珍エピソードは、

子供と共に生き、子供と共に取り組み、子供と共に乗り越える

という私の中での柱となった大きな基盤となりました。

ものすごく不器用な時間で、ものすごく間違えだらけだったであろう

「おしっこ大戦争」

は、私の成長の大革命でもあったのです。

 

《おしっこ大戦争》

それは、

娘の

「トイレトレーニング物語」

そして

新米ママの

「トイレトレーニング物語」

 

《おしっこ大革命》

それは、

娘の

「トイレトレーニング終了の日」

そして

新米ママの

「子供と共に生きる一歩目の日」

です。

 

 

そんな娘と私の小さなひととき。

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